しちりんの歴史について  ※無断複写、転載をお断りいたします。

現在の「しちりん」の形状に近いものは、江戸時代までに誕生しており、
江戸の生活を表現した絵に登場しています。
また「しちりん」という名は、元禄期1688〜1704年の小説に登場するとのことです。

○「しちりん」は軽量で小さく、木炭の使用量も少なく、たぶん本体も低価格で
 経済的な燃焼器具だったと思われ、お屋敷の囲炉裏(いろり)や竈(かまど)に代わる
 簡便な道具として、主に都心部の長屋住まいの町人家庭を中心に
 普及したものと考えられ、また、土間の竈の補助的な燃焼器として、
 魚焼きなどにも使われていたようです。

○このころの「しちりん」は全国各地で作ることのできた陶器製のものが多かったと
 思われます。
 現在の石川県珠洲市(能登半島)の珪藻土製品は、江戸時代初期1615年頃から、
 竈(かまど)や焜炉に利用したのが始まりと言われ、珪藻土製の「しちりん」は、
 明治時代以後に爆発的に普及したようです。

○しかし、「しちりん」的なものはというと、
 土器を使っていた太古の昔から使っていたことは容易に想像できますし、
 大阪の「難波宮史跡」からも5〜6世紀ごろの「しちりん」的な形状の
 土製の焜炉(こんろ)が発掘されています。

○近年では、第二次世界大戦後に焼け野原となった東京や大阪など、
 主に都心分のバラック(復興住宅)で便利な調理器具として、
 現在の珪藻土製「しちりん」が爆発的に普及し、多くの庶民の生活を支えていました。
 焼失した家屋の後にはバラックの小さな家が並び、土間に竈を作るような余裕がなく、
 「しちりん」は炊飯や煮炊き物、焼き物の調理道具として、生活必需品だったのです。
 しかし、昭和30年代に、ガス、電気の普及と共に急速にその姿を消してしまったのです。

現在では、そのような生活を支える道具ではなく、炭火焼き料理を味わう道具として、
その課程を楽しむ贅沢な道具として進化を続けています。
最近では炭火焼きの飲食店も多くなり、その良さを知って
家庭やキャンプ場で使用される方も大変多くなってきました。

 


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